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2008-03-18

東湖賓館と杜月笙

本日は、3月12日のスレッドでご紹介しました、東湖賓館にまつわるお話を
お送り致します。
  東湖賓館・ガーデン  東湖賓館(高層)

東湖賓館は、元は、ある個人の邸宅でした。
その人物の名を、「杜月笙」と言います。
        杜月笙

この杜月笙という人物は、2月12日のスレッドでお話しました、「」に大きく
関係した人物です。

上記スレッドでもお話しましたように、当時の上海には、「紅幇」と「青幇」の、
2つの代表的な幇(秘密結社)がありました。
近年、「黒社会」の名で呼ばれる幇会に属する者は、解放前の上海の人口
約300万人のうち、実にその4分の1に及んだ
と言われています。

杜月笙は、青幇、つまり租界時代の上海黒社会におけるボスの一人でした。
その中でも杜月笙は、特に「大亨」(大親分)と呼ばれた、非常に大きな勢力を
誇っていた大ボスでした。
特に杜月笙黄金栄張嘯林の、3人の青幇の大亨は、外国人・中国人に
関わりなく、老若男女の誰もがその名を知るほどでした。

杜月笙は、1888年、上海浦東の高橋鎮という所で生まれました。
翌年には妹が生まれたそうですが、一家の生活苦から、この妹は、寧波商人に
引き取られた
そうです。

4歳の時に両親を亡くし、継母に育てられるようになります。この継母は、貧しい
ながらも、非常に杜月笙を大切に育ててくれたようです。
ところが、彼が8歳の時、この継母が、謎の失踪を遂げてしまうのです。当時の
中国は、日清戦争に敗北した直後で、日本に多額の賠償金を支払ったことも
あり、税金は重く、社会的な混乱も大きかったようです。

後に青幇の大亨となった杜月笙は、この継母と妹の行方を、手を尽くして探した
そうですが、結局彼女達の行方は知れなかったということです。

14歳になると、今は無き十六鋪で、果物行商として丁稚奉公に出されました。
そんな中で、青幇の棟梁陳世昌と知り合い、彼の傘下に入ります。

青幇の根拠地は、地理的に幾つもの無法地帯を含んでいた、フランス租界に
ありました。
ここで彼らは、「幇会三宝」と呼ばれる、“阿片(アヘン)・賭博売春”に勤しんで
いました。
幇会三宝の中でも、組織にとっての最大資金源はアヘンでした。

仲間から非常に慕われた杜月笙は、陳世昌などの関係から、フランス租界等に
入り込むことに成功
し、アヘンの運送に携わるようになります。
更には、杜月笙自身でアヘンを闇取引するようになっていきました。

1925年7月、杜月笙黄金栄張嘯林の3人は共同で、三鑫公司というアヘンを
取り扱う会社
を設立します。
そして遂には、上海におけるアヘン市場を独占しました。

当時は、租界各地に、「燕子窩」と呼ばれるアヘン窟があったそうです。
特に、三界が接していた延安東路附近は、無法状態に陥っていたのですが、
その延安東路に近い、金陵東路寧海東路周辺は、特に燕子窩の密集地帯
だったそうです。

燕子窩を取り締まろうにも、上出の、杜達3人の会社は、華界では軍閥警察と
フランス租界ではフランス警察と強固に癒着してしまっていて、これら機関
からの全面的なバックアップを受けている始末でした。
特に、'20年代~'30年代にかけての時期は、杜月笙が、上海工部局の中国董事、
通称“華董”(理事長)に就任していましたので、尚更、彼等に手を出せる者など
存在しなかったのです。

杜月笙は、各幇(黒社会)との関係を改善しつつ、政界・軍閥などの要人などとも
手を組みながら、規模を大きくしていきます。
かの蒋介石も、青幇の一員であったとも言われており、杜月笙は、当初資金面で
  蒋介石

苦しんでいた蒋介石を、相当バックアップしていたそうです。
杜月笙は、上海黒社会の大ボス・大亨と言われつつも一味違っていて、服装等も、
一見文化人と見間違われてしまうほどであったそうです。

この杜月笙の、華董就任当時には、彼等が全中国のアヘンを支配していた
そうです。当時、アヘンの年間取扱量は、約600~2,000tに上っていたそうで、
三鑫公司租界軍閥3者の手にした年間手数料は、優に1億元を越えて
いた
と言われています。

このようにして、莫大な利益を手にした杜月笙の豪邸が、今の東湖賓館です。
敷地内の庭園には、1920~40年代に建てられた洋館が建ち並んでいます。
現在は、庭の造成工事を行っておりますので、良い写真が撮れないのが残念
です。

ところが、1937年、盧溝橋事件(七・七事変)が勃発すると、杜月笙を取り巻く
状況も大きく変化します。

七・七事変の勃発が報じられるや、上海では反日運動が高まります。
更に第一次上海事変が勃発、旧日本軍の攻撃により、上海は陥落します。
この影響で、杜月笙は、新居への引越し間近だったものの、香港へ避難する
ことになります。

結局杜月笙は、この邸宅を、アメリカの新聞社に60万米ドルで売却します。
その後この建物は、アメリカ領事館として使われたこともあったそうです。

この後杜月笙は、一時は華懋公寓(サッスーン所有のキャセイ・マンション
現錦江飯店北楼)に住んだこともありましたが、遂に東湖路の邸宅に住む
ことはありませんでした

その為この豪邸は、杜月笙にとって、一度も住むことのなかった幻の邸
なりました。

1941年、太平洋戦争が勃発すると、杜月笙は一時重慶に逃れます。
そこで彼は、恒社総社を設立し、勢力を伸ばしていきます。
この時、「青幇」は「恒社」と名前を変えました。

ところが、国民党政府による、民間結社への取締りが徐々に強化されて
いきます。
更に、1948年、杜月笙の息子・杜維屏が、上海で逮捕されました。
こうして杜月笙は、最早上海において彼が発展できる余地はなくなった
して、1949年、香港に逃れます。
その後、1951年に香港で死去しました。

この、嘗ての杜月笙の豪邸も、戦後改装され、ホテルとして運営されるように
なりました。
これが今日の「東湖賓館」です。
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